Top >  弁当豆知識 >  弁当の歴史

弁当の歴史

弁当の起源は平安時代までさかのぼります。
当時は、「頓食」(とんじき)とよばれたおにぎりのほか、干し飯または糒と呼ばれる調理済みの乾燥米が、携帯食料としてつかわれました。
干し飯は小さな入れ物に保管し、そのまま食べることも出来ましたが、水で煮て食べることもありました。
安土桃山時代に、現代でも見られるような漆器の弁当箱が作られるようになり、弁当は花見や茶会で食べられるようになりました。

江戸時代、天下泰平の時代、弁当はより広範な文化になると同時に、優雅な文化となりました。
旅行者や観光客は、単純な腰弁当をつくり持ち歩きました。
腰弁当はいくつかのおにぎりで構成され、竹の葉で巻かれたり、竹篭に収納されました。
今でも最も人気のある弁当として幕の内弁当がありますが、これも江戸時代に誕生します。
能や歌舞伎を観覧する人々は幕間(まくあい)にこの特製の弁当を食べたのでこの名前が付いたとされとります。
また、江戸時代、弁当のハウツー本が多数出版されたといわれております。
これらの本にはひな祭りや花見の準備のために、弁当の料理方法やパッキング方法が詳しく書かれていました。

明治時代、役所に勤務する官吏は、給食もなく、また現代のように外食施設が発達していなかったので、腰弁当をさげて仕事にでかけました。
そのため安月給の下級役人は腰弁と言われるようになりました。
このころ最初の駅弁も発売されました。

最初に駅弁が売られた場所に関しては複数の説があり、はっきり判ってはおりません。
一説によると、最初の駅弁は1885年7月16日に宇都宮駅で売られたといわれております。 それは2個のおにぎりと沢庵が竹の皮に包まれたものが1人前になっていました。

初期の学校は昼食を提供しなかったので、まるで労働者のように、生徒と教師は弁当を持ってこなければなりませんでした。
サンドウィッチのようなヨーロッパスタイルの弁当が売られ始めたのは、この頃からであるといわれております。

大正時代になると、学校に弁当を持って来る慣例を廃止する動きがあり、社会問題に発展しました。

第一次世界大戦後、不作が続くと、東北地方からの都会への移住者が増えました。
そのため所得格差が大きくなり、弁当に貧富の差が現れました。
当時の人々はこの現象が、肉体的な面からと精神的な面から、子供たちに好ましからぬ影響を与えるのではないかと考えました。

昭和時代になりアルミニウムをアルマイト加工した弁当箱が開発されました。
壺井栄の小説、二十四の瞳に描写されるように、それは目の覚めるような銀色と、メンテナンスの容易さから、羨望の的になります。

第二次世界大戦の後、全ての生徒と教師に対して用意されている給食に切り替えられ、徐々に学校に弁当を持ってくる習慣は少なくなりましたが、行政のコスト削減のために、一部の学校では給食が廃止され、家から弁当をもってくる習慣が復活しているところもありました。

弁当の調理は、主婦の仕事とされてきたが、女性が外に勤めにでることも多くなったなどの事情もあり、スーパーや現在のコンビ二のような食料品店等で買ってきたおにぎりやパンを持参する生徒も多くなりました。

1970年代、ジャー式の保温弁当容器が普及して、あたたかい弁当を食べられるようになりました。

欠点は、サイズが大きいことで、鞄以外に弁当を肩からかけて出勤、通学する不便があったことと、落とすと割れるという問題もありました。

1980年代、弁当はあらたな市場に登場します。
一つにはコンビニエンスストアが急激に普及し、電子レンジであたためる弁当を売り出したことです。
持ち帰り弁当専門店(通称ホカ弁)も台頭してきました。
ドカベンに象徴される金属製の弁当箱は、耐熱性プラスティックなどの弁当箱に変わっていきました。

そして2003年頃からは、空港で販売される弁当「空弁」がブームとなっています。
乗客は飛行機に乗っている間にそれを食べています。

以上こうしてまとめると、弁当にも意外な?歴史があるものですね。

<お知らせ>
放射能汚染という新たな懸念事項や、近年の異常気象などにより、
安全に確実に、そして適正価格で確保が出来るとは限らなくなってきた野菜を
安全に安く確保する1つの方法として、一度植えれば、ほとんどほったらかし
家庭菜園法が注目されています。
いざというときのために今からやっておきたい、

にほんブログ村 料理ブログ お弁当へ ←お弁当情報の宝庫!にほんブログ村 料理ブログ お弁当へ


         

関連エントリー

幕の内弁当基礎知識 弁当の歴史


スポンサードリンク